The Strategic Manager 2016/March |
株式会社TKC発行「戦略経営者3」より |
「月給一万円からの脱却」 |
革新者・小倉昌男 言葉の力−第11回 |
文 作家 山岡淳一郎 氏 |
経営の道をひた走ってきた小倉は、60代後半にさしかかり、「人間としてどう生きるか」という根本的 |
なテーマと向き合った。 クリスチャンの小倉が選んだのは「障がい者の自立支援」だった。 小倉は、 |
1993年に自身が保有していたヤマト運輸の株式300万株のうち200万株 (時価総額約24億円) を |
寄付し、 「財団法人ヤマト福祉財団」 を設立した。 数年後には残りの100万株も差し出す。 まさに私 |
財をなげうって財団を立ち上げた。 ヤマト福祉財団は、 「障がい者の自立及び社会参加に関する各 |
種の活動に対し幅広い援助を行い、もって、障がい者が健康的で明るい社会生活を営める環境づくり |
に貢献すること」 を目的に船出する。 では、「障がい者の自立」とは何か・・・。 それは、障がいを持っ |
ていても働ける状態なら働き、 収入を得て生活すること、 定義できる。 何事も「現場志向」の小倉は、 |
福祉関係者の案内で小平市内の障がい者施設を見て回った。 小平養護学校(現小平特別支援学校) |
で重度の肢体不自由児の生活に触れる。 教員が脳性まひで肢体が不自由な子どもを抱え、スプーン |
で食事を口に運んでいた。 小倉はショックを受け、 この人たちの労働を語ることはできない、と無力感 |
を抱く。 続けて 「あさやけ作業所(現社会福祉法人ときわ会あさやけ作業所)」 という東京で最も早く |
設けられた共同作業所を訪れる。 主に知的障がいと肢体不自由の人が働いていた。 カタログの丁合 |
や布巾の縫製をしている。 同じ敷地の「あさやけ第二作業所」 にも足を運ぶ。 こちらは日本初の精神 |
障がい者の共同作業所だ。ちょうど昼時にさしかかった。 小倉は作業所の給食を食べ、お茶を飲みな |
がら職員に素朴な疑問を投げかけた。 「障がい者の方たちに、毎月どのくらい賃金を払っているので |
すか」 「平均して一万円ぐらいですね」 「月に?」。 小倉は耳を疑った。 「そうです。月給です」「うーん」 |
と言ったきり、小倉は黙り込む。 共同作業所での労働は「福祉的就労」 と呼ばれ、都道府県別に定め |
た最低賃金 (時給677〜888円)は適用されていなかった。 月給一万円に愕然とし、それを当たり前と |
する状況に怒りがわいてくる。 小倉は共同作業所に経営の観念が欠落していると感じ、「許せない。 |
月給一万円から脱却させよう」と静かに誓った。 ヤマト福祉財団は福祉作業所の経営向上をテーマに |
「パワーアップセミナー」 を開いた。 その基調講演で小倉は「月給一万円から脱却」を掲げ、目の前の |
福祉関係者たちに辛辣な言葉を浴びせた。 「素人の私に言われてシャクにさわるでしょう。悔しかった |
ら、月10万円を払ってみなさい。 福祉的就労と低賃金を正当化しているが、これはおかしい。 障がい |
者も健常者と同様、自分で稼いだ金で自活したい。 障がい者は働く能力が低いというのも固定観念で |
す。 自閉症の人などは私よりも、よぽっど能力が高い。 記憶力も抜群です。 ヤマト運輸で営業所の |
バーコード番号をいちばん正確に覚えているのは自閉症の社員です。 人間は誰でも得手、不得手が |
ある。 長所を生かし、短所を補うのは企業も福祉施設も違いはない」 福祉作業所の経営改革に向け |
て、小倉は「成功モデル」をつくろうと全力をふりしぼるのであった。 |