| The Strategic Manager 2016/February |
| 株式会社TKC発行「戦略経営者2」より |
| 「理念に社会的インフラ≠ニ入れたいなあ」 |
| 革新者・小倉昌男 言葉の力−第10回 |
| 文 作家 山岡淳一郎 氏 |
| 相談役に退いていた小倉昌男が1993年に会長復帰したとき、世間は驚いた。世代交代の歯車を |
| 逆に回したように見えた。記者会見で、「ヤマと運輸は大企業病になっている。社風刷新を掲げ、惰性 |
| でやってきたものを見直し、捨てるものを捨てる」と小倉は言い切る。 |
| 大企業病とは、現場の責任者が車両や荷物の事故を報告しない事案が増えていたことをさす。小倉 |
| は「1期2年」と限り、会長に返り咲いたのだった。 真っ先に手を付けたのは組織改革である。 当時、 |
| ヤマト運輸は社員4万8000人、年商4900億円の大企業に成長していた。組織が拡大するにつれて |
| 事務系の間接人員の比率が高まった。そこを思い切って縮小し、「人事評価」を変革する。若手社員を |
| 集めて試案を作らせ、何度も「ダメ出し」をし、2年がかりで人事のしくみを練り上げた。その結果、上司 |
| による評価のみならず、「横」の仲間内と、部下からの360度の評価による人柄を加味したヤマト独特 |
| の人事評価制度が生まれる。ただし成果主義を完全に否定したわけではない。ヤマト運輸のセールス |
| ドライバーの給料は、人柄、人間性を甘味した周囲の評価で決まる固定給のほかに、「インセンティブ」 |
| と呼ばれる歩合給も定められた。 人事評価の骨格が固まると、経営理念をつくるプロジェクトが動き出 |
| した。ヤマト運輸には歴史の風雪に耐えてきた「ヤマトは我なり」などの社訓がある。 その精神的指針 |
| を、わかりやすい経営理念にまとめてビジョンを示そうというものだ。 中心メンバーとなった若手社員は |
| 「宅急便の高度化」「より便利な生活関連サービスの創造」企業向けの「革新的な物流の開発」という |
| 具体像を掲げ、「豊かな社会の実現に貢献します」と締めくくる素案を作った。 会長室で素案を受け取 |
| った小倉は、じっとペーパーを見つめて、こう口を開いた。 「これさ、この宅急便の高度化のところにさ、 |
| 社会的インフラって入れられないか。入れたいなぁ」 インフラと入れたければ入れればいいのに、と誰 |
| もが思うだろう。 「でもな、ちょっと、おこがましいかな。まだ、早いかなぁ・・・」 小倉の態度は煮え切ら |
| なかった。こんなに躊躇するのは初めてだ。素案に何度も「インフラ」と入れては消し、消しては入れる。 |
| 「インフラ=社会資本」という文言のこだわりに小倉の万感の思いがこもっていた。 一般に道路や橋、 |
| 学校、上下水道などのインフラ建設には莫大な資金と人、モノが要る。公的な領域だ。 しかもインフラ |
| には100年単位で安全に安定的に役立つ「永続性」が求められる。 確かにヤマト運輸は全国に宅急 |
| 便のネットワークを構築した。 だが、それを「インフラ」と呼んだとたん「永続性」という重い十字架を背 |
| 負うのだ。 その覚悟があるのか・・・・。 小倉は自問自答し、最終的に「社会的インフラを、入れよう」 |
| と決断した。 ヤマトは私企業でありながら、公的使命を自らに課す。 ここがヤマト運輸の一大ターニン |
| グポイントだったと筆者は思う。 小倉は約束どおり、1期2年で会長職を辞した。 「40数年会社にいて、 |
| 愛情もあるし、心配もあるけれど、いつまでいてもしょうがない」 と退任会見で述べた。 |
| 去り方も小倉らしかった。 |