The Strategic Manager 2016/January
株式会社TKC発行「戦略経営者1」より
「誰にも言うなッ!」
   革新者・小倉昌男 言葉の力−第9回
    文 作家 山岡淳一郎 氏
   宅急便は「産地直送」という巨大マーケットを切り拓いた。北から南から新鮮な魚や野菜、肉が卸
  小売を通さず、消費者に直接届く。まさに流通革命が起きた。 やがて生ものが大量に出回るにつ
  れ、悲鳴にも似た声が上がる。 「冷たいまま届く宅急便を作ってくれ!」と。 発砲スチロールに氷
  詰めの魚も、届け先が不在で翌日配達すれば傷んでしまう。受取人不在に困惑した現場は、冷蔵
  運送の要望を出し続けた。 ニーズの高まりを感じた小倉昌男は、「クール宅急便」の商品開発を部
  下に言い渡す。 任された少数精鋭の開発チームは「経営戦略会議(経戦)」 という場で幾度となく
  提案を行いクール宅急便の構想を形にしていく。 経戦は、専務をトップに役員が5名、提案側に部
  長、課長、係長ら5名の計10名。 議事録はとらず、全員が自由に発言できた。 若い社員は専務
  や常務と対等に議論できるとあって張り切った。 一方、小倉は、独自に動く。 日本郵船が主体の
  コンテナメーカー・チームに接触した。 豪州の牛肉をチルド(氷温)で運ぶ資料を入手し、1985年
  4月、開発メンバーに次の基本方針を示す。 @個人向けの商品を対象とする。 Aどんな荷姿でも
  送れる。 B品物に応じた複数の温度帯。 C出荷元に、今以上の費用や手間を負担させない。 D
  いつでもどこでも利用できる。  開発チームは、車両での冷温管理の難しさ、 莫大な開発コストに
  苦しむ。 冷蔵庫を積んで走れば、真夏の炎天下、エンジンが過熱してオーバーヒート。 冷蔵庫で
  の輸送は電源問題でゆきづまった。 試行錯誤の末に「蓄冷剤」の利用で壁を破った。 近年の蓄冷
  剤は、水をベースに科学物質を入れて凍る温度が調整できるように改良されている。 つまり、溶け
  る温度もコントロールできるので、冷蔵、氷温、冷凍の三つの温度帯での対応が可能となった。 開
  発チームは東京神田青果市場の荷動きデータから冷蔵需要は宅急便全体の10〜15%とはじきだ
  す。宅急便は急増しており、クールが成長するのも間違いない。 開発チームが蓄冷剤を用いたク
  ール宅急便を持っていくと、小倉は「よしツ、これでいい」と認めた。小倉も同じ答えを出していたよう
  だ。 そして、こう厳令した。 「クール宅急便の開発は、絶対に秘密だ。実験を依頼する業者にも知
  られてはならない。 深く、黙って潜行し、 他社が真似できないレベルまでサービスを高めて営業開
  始だ。 参入障壁を高くしておこう。秘密だ、いいな」   これほど極秘に開発が進められたケースは
  過去になかった。87年7月、全国八地区の責任者が本社に呼び寄せられ、いきなり「8月1日より、
  クール宅急便のテスト販売をやってもらう」と告げられる。寝耳に水で、集配車の手配がつかず、現
  場は大混乱に陥った。もっとも、新たな挑戦で生じる混乱だから士気は高かった。テレビCMの援護
  射撃で知名度が一挙に上がり、顧客間でクール宅急便の奪い合いが起きた。  クール宅急便は、
  のちに冷蔵と冷凍の二温度帯に改められ、急成長を遂げる。10年以上、他社は追随できなかった。
   勝負どころで小倉は冷徹だった。 社内にも徹底的に秘密にする緘口令を敷いたのである。