The Strategic Manager 2015/DECEMBER
株式会社TKC発行「戦略経営者12」より
引っ越しは家財道具の運搬じゃない。生活空間の移動だ
   革新者・小倉昌男 言葉の力−第8回
    文 作家 山岡淳一郎 氏
   企業にとって、新商品(サービス)の開発は永遠のテーマである。開発部門のスタッフは毎日、脳
  漿をしぼって考え続けている。 では、経営者はどのような姿勢で商品開発に臨めばいいのだろう。
  小倉昌男は、商品開発の初期段階では簡素で明確なコンセプトをスタッフに示すだけだった。 くだ
  くだしい説明は省いている。 ただし、社員の開発作業と並行して自分でも新商品の方向性や具体
  像を徹底的に考え抜いた。  ときには自分自身の人脈を使って調査し、多様なデータをかき集めて
  熟考した。 開発が進み、研究を積んだスタッフが新しい提案を持ってきても自分の「解」と合わなけ
  ればゴーサインは出さなかった。 極めて慎重にことを運んでいる。 現ヤマトホールディングス社長
  山内雅喜氏は、ヤマト運輸が 「スキー宅急便」 「ゴルフ宅急便」など新商品を次々と世に送り出して
  いた1984年に入社している。新人の山内氏が配属されたのは、できたばかりの引越開発部。部長
  と課員合わせて4人の小さなグループだった。 引越開発部の面々は、荷物の搬入や搬出、梱包の
  仕方をあれこれ考研し、これならいけるだろうと当たりをつけて小倉社長と対面した。 すると小倉は、
  開口一番、こう言った。「引っ越しは、家財道具を運ぶものじゃないんだ」 引越開発部員は「えっ?」
  とキツネにつままれたような顔になる。小倉は言葉を続けた。「そうではなくて慣れ親しんだ生活空間
  を移動させることだ。そう考えて開発に取り組んでほしい」 そのときの印象を、山内氏は、こう語る。
  「僕らは引っ越しはモノを、家財を運ぶことだと思って技術的なことを、いろいろ考えていたのですが、
  違う、生活空間の移動だ。 引っ越し前と同じ生活が、すぐに新居で始められるようにするにはどんな
  サービスをしたらいいか考えろ、と言われました。新人なりにおもしろいなぁと感じましたね」 その後、
  部長や課長とアイデアを出し合って案を持っていくと「やりやすいことしか考えていない」と突き返され
  る。ふつう新居に引っ越して生活のペースが戻るまで1、2週間かかる。小倉は、それではいけない、
  と言った。 朝、家族が家を出て学校や職場に行っている間に引っ越しが行われる。夜、「ただいま」
  と帰ってきたら、夕食がそろっていて、生活のリズムが崩れない。 そんなサービスを引越開発部員
  イメージした。 そして生まれたのが『引越らくらくパック』という商品だった。
   ビフォーの生活をアフターで再現するために工夫が凝らされる。デジタルカメラが普及していなかっ
  た当時、引越前の生活状況を画像に残すためにポラロイドカメラが使われた。主戦力は女性の引越
  バイザーだ。 専任の女性スタッフが顧客の家へ出向き、奥さんと打合せて運ぶものを取捨選択。
  生活を崩さない準備を整えた。 「段ボールにどういう順番で詰めるか、何をどこに入れるか、機材を
  開発してノウハウを蓄積し、結果的に小倉さんが望む形になりました」 と山内氏はふり返る。
   始めに明確なコンセプトありき。 小倉流の商品開発は、いまもヤマトグループに受け継がれる。