The Strategic Manager 2015/MAY
株式会社TKC発行「戦略経営者5」より
 サービスが先、利益は後
   革新者・小倉昌男 言葉の力−第1回
    文 作家 山岡淳一郎 氏
    「イノベーション」という単語がメディアで躍っている。天然資源が乏しく、少子高齢化で生産人口が
    減っている日本が国際競争力を保つには、絶えざる「刷新」「技術革新」が求められる。
    そうした思いが「イノベーション」乱用の背景にはある。しかしながら、新市場につながる革新のタネ
    は見当たらない。 どうすれば変革を起こせるのか。
    先人はいかにして新機軸を打ち立てたのか・・・と悩む経営者は多い。そこで、本物のイノベーター、
    革新者にかかわる連載コラムをお届けしよう。
     ヤマト運輸の「中興の祖」にして「宅急便」の父、小倉昌男(1924〜2005)の話である。
    社員数約19万人、年間売上高約1兆4000億円の巨大物流企業となったヤマトグループ。その屋台
    骨を支える宅急便を小倉が世に送り出した1976年当時、大和運輸は「危ない会社」とみられていた。   
     石油ショックで坂道を転がり落ちるように業績が悪化し、75年度は売り上げ350億円に対して経常
    利益はわずか2690万円。利益率は0.07%まで落ち込んでいた。 東京・銀座の社有地を切り売りし、
    何とか事業を継続するありさまだった。 崖っぷちに追いつめられた大和運輸で、小倉社長は、「コス
    トばかりかかって採算が合わない」と他社が見向きもしない宅配事業に乗り出す。企業の商業貨物
    ではなく、一般家庭の荷物をターゲットにした。「宅急便」を開発するに当たって、三つのヒントを小倉
    はつかんでいた。 まず、牛丼にメニューを限って収益を増やしていた吉野家の存在。コンセプトを明
    確にして商品を絞り込んで成功している。 二つ目が小倉自身の家庭での経験である。息子の洋服
    のお下がりを千葉県の親戚に送ろうとしたら、運送会社の社長である小倉自身にも送る手立てがな
    かったのだ。 運送会社は家庭向きサービスを提供しておらず、荷物を国鉄(現JR)か郵便局に持ち
    込まねばならなかった。 ところが、どちらも「親方日の丸」で、「荷物を持ってこい」といった態度だっ
    た。消費者は絶対に満足していない。攻め込めると確信した。そして三つ目のヒントは「JALパック」。
    日本航空は海外旅行に必須の航空券やホテル予約、観光手配などすべての要素をパッケージ商品
    にし、大衆の心をつかんでいた。家庭の小荷物配送サービスもわかりやすい商品にすれば受け入れ
    られる。これらのヒントから「運賃500円」「翌日配達」「電話一本で集荷」という宅急便が考案された。
    小倉は、その営業開始に向けた業務会議で、こう宣言した。
    「宅急便が赤字を脱却するには荷物の密度を濃くするには、サービスの差別化だけが唯一の手段で
    す。これからは収支のことは一切言わない。その代わりサービスのことは厳しく追及します。サービス
    が先、利益は後。このモットーを金科玉条として守っていただきたい」
    「サービスが先、利益は後」は単なる心構えではない。戦略の中核だった。先行する郵便局を負かす
    には、「サービス」で差をつけ、人々に「宅急便は役に立つ」と納得してもらわねばならない。
    世の中に貢献し、認められれば、未来を拓けると小倉は見通した。1日の取扱数わずか11個で始まっ
    た宅急便は、いまや年間16億個超までその数を伸ばしている。気がつけば「産地直送」や「通信販売
    」の新市場を飛躍的に拡大させていた。