| The Strategic Manager 2014,11 名経営者が残したあの言葉 | ||
| 株式会社TKC発行「戦略経営者」より | ||
| どんなに良い品物でも、 | ||
| 人に知られなくては売れないんだよ | ||
| 森永太一郎・森永製菓創業者 | ||
| 武士に武士道があるように、商人には商人の道がある。森永製菓の創業者・森永太一郎 | ||
| はわずか12歳の頃に伯父から学んだ商人の道を生涯守り抜くことで「キャラメル王」となった。 | ||
| 1865年、佐賀に生まれた森永の生家は元は伊万里一の陶器問屋だったが、父を早くに亡 | ||
| くしたこともあり、家業は衰え、親戚の家を転々とするこども時代を送っている。やがて12歳で | ||
| 商人の道を選んだ森永は、伯父に商人として心得るべき4カ条を教えこまれるなど厳しい修行 | ||
| を経て、18歳で上京、24歳でアメリカに渡っている。 | ||
| 渡米の目的は直接アメリカ人に九谷焼を売り、百万長者になることだったが、失敗に終わり、 | ||
| 借金だけが残ってしまった。アメリカで労働者となり、借金を返しながら、何か日本で役に立つ | ||
| 技術を身につけたいと願っていた森永は公園で上品な老婦人からもらったキャンデーのおい | ||
| しさに驚き、洋菓子の職人になることを決意した。 | ||
| しかし、当時のアメリカには激しい人種差別があった。森永は差別の苦難にあいながらも西 | ||
| 洋菓子の技術を習得、35歳で日本に帰ることになった。2坪ほどの小さな作業場に森永西洋 | ||
| 菓子製造所という看板を掲げ、マシマローやキャラメルの製造卸からスタートしたものの 洋菓 | ||
| 子になじみのない日本では思うように売れなかった。 | ||
| 初めての注文には2カ月もかかっている。それでも「必ず日本人から歓迎されるはず」と信じ | ||
| て「品質本位」の菓子づくりを続ける森永にチャンスが訪れた。 偶然店に来た駐日アメリカ公 | ||
| 使夫人が森永のつくる菓子を絶賛、各国公使夫人たちが顧客となったのである。やがて皇室 | ||
| からの注文さえ入るようになった。1901年のことだ。 | ||
| 森永が常に心がけていたのは伯父に教えられた「正しい商売」を行うことであり、日本人に | ||
| 洋菓子のおいしさを知ってもらうための広告宣伝だった。当時の日本には 「広告は商品の | ||
| 粗悪さをごまかすためのもの」という古い考えがあったが、森永は社員にいつもこう言ってい | ||
| たという。 「どんなに良い品物でも、人に知られなくては売れないんだよ」 | ||
| 懸命な売り込みを断られ続けた森永ならではの言葉である。やがて森永考案のエンゼル | ||
| マークとともに「森永」名は全国へ広まり、「洋菓子と言えば森永」と言われるようになった。 | ||
| 文=桑原晃弥(くわばら・てるや)経済・経営ジャーナリスト | ||