The Strategic Manager 2014,10    名経営者が残したあの言葉
株式会社TKC発行「戦略経営者」より
扇風機のモーターと同じくらい小さな軽い
ディーゼルができたらどんなに素晴らしいやろ
山岡孫吉・ヤンマー創業者
 滋賀県の貧しい農家に生まれた山岡孫吉は1903年、16歳の時に大阪に奉公に出ている。
「1万円ためてみせる」が母との約束だった。大阪で丁稚となったが病気になり、長兄宅で身体
を休めていた時、縁あって大阪瓦斯の工事人夫に採用されたことが山岡の転機となった。そこ
でガスエンジと出会い、ゴム管などの販売を通して1万円を貯めるには商売しかないと気づいて
独立。 商売は兄弟を呼び寄せるほどに成功、1912年に大阪市北区茶町に山岡発動機工作
所という修理工場を開いている。社員数名の小さな工場だが、中古エンジンの修理のニーズを
呼び込み、業績も伸び続けたが、一方で時代はガスエンジンから電気モーターへと変わり始め
ていた。そのため多くの同業者が廃業することになったが、「実地の見聞」によって動力用電力
の供給のない地域にガスエンジンを売り込むことで大きな成功をおさめることになった。
 しかし、第一次世界大戦後の不況もあり、中古エンジンの販売に限界を感じた山岡は石油エ
ンジンの試作に着手。 100日間の試行錯誤を経て農業用3馬力石油エンジンを完成させ、こ
の石油発動機に「ヤンマー」の商標をつけて販売している。
 山岡に再び転機が訪れたのは1932年のことである。不況と激しい労働争議に嫌気がさした
山岡は欧米視察に出かけ、ドイツで出会ったマン社の5馬力のディーゼルエンジンに魅せられ
あらゆる文献を求め、各国の工場を見学して回っている。
 当時、どの工場にも小型のものはなかったが、山岡は「世界中どこにもないなら、俺がつくっ
てやる」 と決意して帰国。目指したのは世界初の小型3馬力。技術陣にこう指示した。
 「扇風機のモーターと同じくらい小さな、軽いディーゼルができたらどんなに素晴らしいやろ。
わしはそれをつくって欲しいのや」
 無茶な要求だったが、山岡も連日研究室に泊まり込むほどの熱意を見せ、1年5カ月に及ぶ
苦労を経て、1933年についに世界初の小型ディーゼルエンジンが誕生することになった。
山岡が口にしていた 「買う時は頭を下げろ、売る時は胸を張れ」 という言葉にふさわしい製品
だった。
文=桑原晃弥(くわばら・てるや)経済・経営ジャーナリスト