The Strategic Manager 2014,9    名経営者が残したあの言葉
株式会社TKC発行「戦略経営者」より
人がいない、技術がない、資金がない
と言っていたら事業はできない
鈴木道雄・スズキ創業者
 自動織機づくりからスタートして世界的自動車メーカーとなった企業といえばトヨタ自動車が
有名だが、同様にスズキも豊田佐吉と並び称された自動織機づくりの達人・鈴木道雄によっ
て自動車メーカーへと成長を遂げている。
 1887年、現在の静岡県浜松市の農家に生まれた鈴木は元来手先が器用だったこともあ
り、大工になるために棟梁について修業を始めるが、棟梁が家大工から織機大工となったこ
とで鈴木自身もこの修業時代に織機に関する知識と技術を身に付けている。
 1908年、修行を終えた鈴木は独力で機械製作を開始、生産能力が高く評判が良かった
こともあり、翌09年に鈴木式織機製作所を設立している。鈴木は鈴木式織機の発明など、
100件を超える特許・実用新案を獲得。開発したサロン織機は海外からの需要も多く、生産
は順調に拡大したが、一方で半永久的な寿命を持つ織機だけでは企業として限界が来ると
感じて新分野への進出も考えるようになった。
 1930年代に一度自動車の開発に挑戦しているが断念、本格的に挑戦するのは戦後のこ
とである。きっかけは1950年の大争議だ。追い詰められた鈴木は旧知の石田退三に資金
援助と役員の派遣を要請して危機を脱することになるが、その際、石田から薦められたのが
バイクモーターの製造だった。
 1951年、鈴木はバイクモーターの試作に着手。53年発売の「ダイヤモンドフリー号」で大
きな成功を収めることになった。この成功により資金的な余裕が生まれたこともあり、鈴木は
小型自動車の開発を決意、54年に本格的にスタートを切り、試作車すらない段階で社名も
「鈴木自動車工業」に改称している。
 自動車は多額の資金を必要とする。当然、強い反対があった。
鈴木は「自動車開発をやめるわけにはいかない」としてこう言い切った。
「人がやってからでは遅い。誰もやらないうちにやらなければならない。人がいない、技術が
ない、資金がないと言っていたら事業はできない。自分が一人で商売を始めた時もそうだっ
た。それでもこれだけの会社ができた。そのときの状況に比べれば、今の方がはるかに恵
まれている。だから私は自動車開発をやめない」
 この情熱こそがスズキの原点だった。
文=桑原晃弥(くわばら・てるや)経済・経営ジャーナリスト