The Strategic Manager 2014,8    名経営者が残したあの言葉
株式会社TKC発行「戦略経営者」より
天佑は常に道を正して待つべし
長瀬富郎・花王創業者
 花王が2004年に制定した企業理念「花王ウェイ」の中の「基本となる価値観」には、「よき
モノづくり」「絶えざる革新」と並んで「正道を歩む」が盛り込まれている。
 この言葉は創業者・長瀬富郎の遺言に由来するものである。1863年、現在の岐阜県中
津川市で生まれた長瀬は11歳の時に母親の実家である若松屋に奉公に出た後、「商法の
基を立てる」ために23歳で上京している。
 独立資金を稼ぐために長瀬が試みたのが米相場だった。最初こそ「損益なし」だったもの
の、その後、見込み違いの売買で失敗、無一文の状態に追い込まれた長瀬はいったん独
立の夢を諦め、日本橋馬喰町の洋小間物問屋に入店、番頭として帳場を任されるまでにな
っている。 この時代に培った信用と実績を基礎に、1887年、23歳の長瀬は洋小間物問
屋・長瀬商店を開業、石鹸や石鹸入れ、西洋文房具などの卸売りと小売りを始めている。
当時、扱っていた石鹸の多くは外国製であり、国産石鹸もあるにはあったが、「顔を洗うと
皮膚を傷める」と言われるレベルだった。
 米相場の大失敗を経験している長瀬の経営は堅実そのもの。創業初年から利益を出した
長瀬はやがて舶来品に劣らない国産石鹸の製造に強い関心を持つようになり、石鹸職人・
村田亀太郎の協力を得て夢の実現に乗り出すことになった。
 1890年、満足のいく品質の石鹸製造に成功した長瀬は花王石鹸(香王石鹸から名称変
更)を発売。 価格は輸入石鹸より高価だったが、それだけ長瀬は「顔の洗える国産の優良
石鹸」への強い自信を持っていた。
 その後、長瀬は全国規模の販売ネットワークづくりや、新聞広告を中心とした広告宣伝活
動に努め、花王石鹸のほか、歯磨き粉や化粧水の製造にも乗り出し、日本人の生活向上に
大きな貢献をすることになった。
 1909年、病気療養に入った長瀬は長瀬商店を合資会社に改組するとともに、家族や親戚
を集めて次のような遺言を残している。
「人は幸運ならざれば非常の立身は至難と知るべし、運は即ち天佑なり、天佑は常に道を正
して待つべし」。  戦後、長瀬商店は花王石鹸を経て、花王となったが、長瀬の言葉は今も
企業行動の原点として大切にされている。
( ※天佑;思いがけない幸運、天の助けのこと)
文=桑原晃弥(くわばら・てるや)経済・経営ジャーナリスト